2014年11月16日〜31日
11月16日  ルイス〔ラインハルト〕

 おれはおどろきました。

 プレタポルテは、こちらで調教のほとんどをすませるということです。客の調教の楽しみを奪ってしまう。
 イアンもわざわざ問いただしにきました。

「この犬は愛玩犬タイプじゃないと思うんだが」

「そのほうが事故がない」

「――バカ犬になるってことか」

「ええ」

 イアンは書類を見て唸っていましたが、やがて言いました。

「日本人なら、きみの見立てに間違いはないだろう。まかせる」

「高く売りますよ」

 アキラが礼を言うと、イアンは笑いました。

「それは家令に任せておけ」



11月17日 アキラ〔ラインハルト〕

 葛西巴の写真を見て、すぐに思い出したのは、兵藤拓也のことだ。

 小柄で、反応のにぶい、白い顔をしたやつで、みんな油断していた。データにあったのは、スーパーの店員。

 だが、部屋から出した途端、彼はウエリテス兵を叩きのめした。手錠をつけたまま走りだし、五人を相手に大立ち回りをやった。

 ミッレペダにあらためて調べさせると、千葉では知られた族のメンバーで、暴力事件を起こし、少年院に入っていた。

 調教には手こずった。13デクリアのプロフェッサーどもがやっと躾けたのだ。


11月18日 アキラ〔犬・未出〕

 監視室をたずね、モニターごしに葛西巴を見た。
 ベッドの上にあぐらをかき、じっと動かない。窓の陽を受け、座禅を組むように目をとじている。

「午前中ずっとこの姿勢」

 ウエリテス兵が言った。

「たいがいのやつは、食事をもっていくとわめきたてたり、窓枠をはずそうとしたり、いろいろ活動するんですが、こいつはハラが据わってる」

 ウエリテス兵は訳知りに、やらかしますよ、と言った。
 巴のあごが少し動いた。切れ長の目がぎらりとこちらを見た気がした。


11月19日 巴〔犬・未出〕

 この部屋に入れられて、もう何日たったのか。

 コンビニを出たところで私服警官に職質された。
 ついにきた、とおもった。

 やっぱりどうみても不審者なんだ。一応、ジャージではなく、ふつうに見える格好をしていたのに。

 名前を言おうとして、声が出なかった。
 そらそうだ。ここ半年、人と話してなかった。

 警官はちょっと来い、と車に乗せた。
 その後、記憶がない。

 いつのまにか病院のベッドにいて、さらに身体検査され、この部屋に移された。見る人見る人、外人ばっかり。こ、拘置所?


11月20日  巴〔犬・未出〕

 はじめて日本人の刑事がやってきた。タカスギアキラと名乗った。

「アキラでいい」

 おれは挙動不審にならないように気を張りつつ、おとなしく話を聞いていた。

 息苦しい時間だ。落ち着いた声。逃げられない空気。
 全然彼を見る機会がない。こいつがおれから視線をはずさないからだ。

 冷や汗が出そう。どうか、あっちむいてくれ。返事を求めないで。

 やっと彼が出て言った時、腰の力が抜けた。水を飲んで一息つく。話の内容がよみがえり、愕然とした。

 人身売買組織? 性奴隷? ホモ専門?


11月21日 巴〔犬・未出〕

 まっさきに疑ったのは、親父だ。
 勘当するだけじゃ飽き足らなくて、外国の組織にひとを売り渡したのか。まさか、千尋の谷底から自力で這い上がって来いと? 

 それはないと思った。
 そんなに息子に関心はないだろう。

 だとすると純粋に事故か。
 なんてことだ。一週間にたった一度家から出るだけの生活で、コンビにいくたった五分の間だけで、それでも外国の組織暴力? しかも、ゲイ専門。外人の。

 なんか、めまいがする。夢ですか。夢ですよね。寝よう。


11月22日 巴〔犬・未出〕

 とんでもない危機に陥っているはずだが、現実感がない。
 いまだ、ドッキリです、という看板が出てくる気がしてしかたがない。

 高杉氏は多忙らしく、あれから顔を見せない。
 三度の飯はうまい。変なセールスは来ない。詐欺電話もない。家にいる時より平穏なぐらいだ。ネットがないので、寝ているほかないのだが。

 たまに真剣に考えなくてはと思う。誘拐されたのだ。警察はいつ気づいてくれるのか。

 親は。……いや、気づかないだろうな、永遠に。

 詰んだ。
 いいや。もう寝よう。


11月23日 巴〔犬・未出〕

 高杉氏が来た。

「よく寝ているらしいな」

 おれは腕を組み、胴がむやみに震えないように気を張っていた。
 彼は言った。

「飯も進んでいるようだし、便通もある。雑誌を読んだり、テレビを見たり、ともある。ここの連中が言うには、これは一年ここで過ごしたワン公――性奴隷の態度だそうだ。ずいぶん、くつろいでいるな」

 おれは咽喉がかわいてくるのを感じた。

 それは質問なんでしょうか。いけなかったんでしょうか。備え付けでしたが、聞くべきでしたか。

 だが、つっかえずに返事する自信がない。


11月24日 巴〔犬・未出〕

「おれ思ったんだ」

 高杉氏はのぞきこむように首をかしげた。
 おれは恐慌をおこしそうになった。顔をそらさないでいるのが精いっぱいだ。

「おまえ、虚勢をはって、余裕を見せているわけじゃないな」

 まずい。手のひらに汗出てきた。

「といって、本当に胆力があるわけでもない」

 腹が震えてる。もうすぐ息も震えてくる。も、もうやめて。

「おまえ、こういう暮らしに慣れてんだな」

 やられた。ざんばらりん。もう死ぬしかない。


11月25日 巴〔犬・未出〕

「つまりあれだ」

 高杉氏の声は哀れみさえ帯びた。

「おまえは例のネットばっかりやって、家にずっとこもって、家族以外にろくに口もきけない、アレだろ」

 剛速球きた。
 
 知らず足を踏みしめていた。目の前の風景がまわっているような気がする。

「せっかく医大入れてもらって、ニートかよ。24か。友達はもう卒業すんのに、おまえは家でゲームして遊んで、親は泣くに泣けねえなあ」

 た、高杉さん、そろそろ自重してください。おれのライフはゼロです。


11月26日 アキラ〔ラインハルト〕

 顔を見て、だいたいわかった。

 たしかに怖い目をしているし、ヤクザの若頭のような不遜な態度には見える。
 だが、一度としてこちらに挑んでくる気配がない。重さがない。

 タクでさえ、脅しをかけた時は、冷え冷えする目を向けてきたものだ。あいつは本物のファイターだった。

 こいつはただの腑抜けだ。それも重症な腑抜けだ。こんな虚勢、中庭に出したらいっぺんに見抜かれてしまう。いじめぬかれて、廃犬まっしぐらだ。

 反抗バカ犬にはならないが、これはこれで問題犬だぞ。

11月27日 巴〔犬・未出〕

 高杉氏が帰った後、気絶するように寝た。

 たぶん、寝なかったら号泣していただろう。なけなしの体面、木っ端微塵。
 だが、目がさめて、少しだけ気分が軽くなった。バレたのだ。とりあえず、彼には正常人のふりはしなくていい。

 はいはい、ゴミです。自宅警備員です。世間のおあまりで生きています。
 両親には捨てられました。家をおいて、家族全員出て行きました。壁を蹴っても誰も返事しません。友達は液晶画面から出てきません。


11月28日  巴〔犬・未出〕

 学校生活はずっと綱渡りだった。
 授業はわかったが、友達といてどうやって間をもたせられるのかわからなかった。会話の速度に口がおいつかない。

 それでも高校までは、奇特な連中のおかげでふつうのふりが出来た。
 大学は無残。いっしょのクラスで行動するわけじゃないから、自分から動かないと友達ができない。
 ずっとひとり。いつのまにか、おれだけひとり。

 寄って来る女の子はたまにいたが、すぐに退屈して去って行く。見掛け倒しだとみんなにバレる。


11月29日  巴〔犬・未出〕

 二年目から大学にいかなくなった。
 母親にガミガミ叱られるので、部屋にこもっていた。

 父親はほとんど口をきかない。弟はすでにおれを見下していた。
 やつは大学には入れなかったが、友だちとバンドを組んで、なにやら活動している。しょっちゅう女の子が部屋にきていた。

 憂鬱だった。ふたりで、ひきこもりの兄ちゃんの話をしているんじゃないかと、気になった。
 そんな苛立ちもあり、母親が胸倉つかんで「あたしの人生を返して」と揺さぶってきた時に、突き飛ばしてしまった。


11月30日 巴〔犬・未出〕

 たぶん、あれがまずかった。

 一週間後、部屋から出たら、家にひとがいなかった。

 テーブルの上には財布に百万。それと家の権利書。手紙が一通。

『生前分与します。これで自立しなさい。以後、面倒はみません』

 家財はほとんどあった。だが、母の服や父の本などはなくなっていた。弟の部屋からも服やAV機器が消えていた。

 おれはかえってホッとした。もう、誰もおれを責めない。うとましそうな目で見ない。


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